人間関係で「あれだけ好きだったのに、嫌いになってしまった……」ということもあるのではないでしょうか。
誰にだって、恋人や夫婦関係だけに限らず、友達関係でも「好き」という感情から「嫌い」という感情に変わってしまった経験があるかと思います。
どうも、ねこひげ(@dr_catwhisker)です。
今回は『「好き」なのに「嫌い」に変わるのはなぜ?』というお話です。
目次
相手のことか好きだったのに…
あなたは「あんなに好きだったのに、一緒の空間にいるのもイヤ!」「あんなに好きだったのに、LINEをするのもイヤ!」など相手に幻滅してしまうことはありませんか。
恋人や夫婦、さらに友達関係でも「好き」だったはずが「嫌い」に変わってしまうことがあるかもしれません。なぜ「好き」だったのに「嫌い」という感情に変わってしまうのでしょうか。
理由としては相手に対する「期待」が大きくなるからです。
相手も期待に応えてくれるけど全ては不可能
きっと恋人や友人関係で仲も良ければ、相手もあなたの期待に応えようとしてくれるでしょう。逆も同じで、あなたも相手の期待に応えたいと思うはずです。
もちろん「相手のために」と思うことは素晴らしいことです。でも覚えておかないといけないのは「他人の期待に全て応えるのは不可能」ということです。
でも、盲目的に「この人ならわかってくれるはずだ」という思い込みが先行して「期待」が膨らんでいきます。その期待に応えてくれなかったとき、人は「がっかり」してしまうのです。
「がっかり」を我慢すると「嫌い」になっちゃう
「もっと、こうしてくれたら良かったのに……」という風に自分の期待に相手が応えてくれなかったとき、人は「がっかり」してしまいます。
たとえば、
「もっと優しいと思ったのに、がっかり…」
「もっと連絡をくれると思ったのに、がっかり…」
「もっとかまってくれると思ったのに、がっかり…」
という感じです。
こんな風に「がっかり」を我慢し続けるとどうなるでしょうか。そうです。「この人、嫌い!」という感情が顔を出してくるのです。
期待を手放そう
大事のは期待を手放すことです。全く相手に期待しちゃいけない、というわけではありません。期待が返ってこなくても「それもそれだ」と思うようにするのです。つまり期待していた自分を手放すのです。
それが難しければ「がっかり」した感情をしっかりと受け止めます。「あっ、そうか。がっかりしていたんだ」としっかりと受け止めることで「なぜ、がっかりしたのだろうか」と考えるようになります。
たんに我慢するのではなく、「がっかり」した感情と向き合うことができれば期待していた自分に気づき、そんな自分を認められるようにもなります。
好きだったところを思い出そう
期待しすぎていた感情に気づいたら、もう一度「相手の好きだったところ」を思い出してみてください。
「こんなところに惚れたんだった」「こんな良いところがあったんだった」など本来好きだったところをもう一度思い出してみるのです。
または「二人で過ごした楽しかった想い出」を思い返すのも良いでしょう。
一緒に行った旅先や一緒に食べたディナー、一緒に過ごした記念日などあるはずです。そうすると「好き」という感情が戻ってくるかと思います。
ゲシュタルトの祈り
ドイツの精神医学者、ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・S・パールズさんが創った「ゲシュタルトの祈り」という言葉があります。
この言葉が、今回のテーマにピッタリなのでご紹介しますね。
わたしはわたし、あなたはあなた。
わたしはわたしのことをやり、
あなたはあなたのことをやる。
わたしはあなたの期待に応えるためにこの世にいきているわけではない。
あなたはわたしの期待に応えるためにこの世にいきているわけではない。
あなたはあなた、わたしはわたし。
もし、二人が出会えれば、それはすばらしいこと。
出会わなければ、それはそれでしかたがないこと。
誰だって相手に期待しすぎることもありますよね。恋人や夫婦関係に限らず、友達や職場の人間関係でもあるかと思います。
期待するのも、期待されるのも自然なことです。ただ、その期待が膨らみ、その期待に応えてくれなかったことを我慢しすぎるのがよくありません。
我慢し続けた結果、あれだけ「好き」だったものが「嫌い」になってしまうのです。
そのようなとき「期待」を手放してみましょう。そして好きだったところや一緒に過ごした想い出を思い返してみてください。「好き」という感情が戻ってくるかもしれませんよ。
今日のクエスト~LevelUpポイント~
●期待していた自分に気づき、認めよう!
●期待を手放そう!
●好きだったところを思い出そう!